憲法は「不磨の大典」ではない。
「改憲の議論を進める第一歩として、成立を目指していかなければならない」
コロナの拡大、尖閣・沖縄に押し寄せ、台湾を恫喝し、日本国内の土地を片っ端から買収する中国の脅威。
だが国があってこそ個人の存在もある。
国民があるから国があるのではない。
なのに彼ら護憲派は国が無くても大丈夫だと思っているようだ。
笑止千万である。
国無くば総ての日本人は、自分の名前ですら本名だと証明できない。
自分の名は戸籍にあり、その戸籍は市町村が保証し、それを都道府県が保証し、それをまた国が保証し、その日本国を世界の国が認めることによって日本国も日本国民も成り立っている。
日本のパスポートが世界で威力を発揮し、世界が認めるのも日本国という国と国民が堂々と存在しているからだ。
だが護憲派の連中は国なんか無くてもいいらしい。
国が無ければ個々人はただの人の姿をした肉の塊りであり、何の権利も無く財産すら持てず、保険も年金も無く、就職口どころか、その働く場所さえ無い。
ただの漂流者であり、襲われても守ってくれる者もいない。
なのに国の守りも不要という護憲派とは、実に奇妙で奇怪で無責任な人々である、
自衛隊はそれでも黙ってひたすら耐えて日本を守ってきてくれた。
世界は激変中であり、日本もすでにその波をかぶり続けている。
もはや、不磨の大典などと言葉遊びができる時代ではない。
(読売・産経・時事他参考)