日本の毒マスコミを始末する
この期に及んでも五輪やめろの声が上がる。
国民でも都道府県民でもなく、町民でも村民でもない。
なぜか”市民”という連中だ。
国無くして市民は存在し得ないが、なぜかコイツらは国を粗末にする。
マスコミもそれに乗っかり、意図的に市民、市民と強調するように記事にする。
マスコミも、国とその形を壊したいと願っている連中だから市民と同じ穴のムジナだ。
市民たちの五輪やめろ運動も自分の考えでそうと決めたわけではない。
何しろ左翼の市民たちは最初から洗脳で成り立っており、自分で考えることが出来ない。
というよりも”考えることは許されない”のだ。
その行動の総ては左翼や共産党上層部の意向、つまり封建時代並みの上意下達で成り立っている。
そして仲間の左翼新聞・左翼テレビという毒マスコミがそれを扇動するという構図だ。
これから閉会式まで日本国は、コロナに加えて左翼の攻撃とフェイクニュースを繰り返す毒マスコミとの戦いが続く。
五輪はその毒マスコミにトドメを刺す絶好の機会だ。
とはいえ新聞やテレビがすぐに倒産や廃業するわけではない。
ましてや大勢の人間がそこで飯を食い、家族を養っている以上は簡単には倒れない。
新聞社やテレビ局が倒れてフェイクニュースが無くなるかといえば、そうではない。
新聞・テレビのフェイクニュースをつくっているのは人間だ。
その人間は会社が消えれば他に行き、そこでまたフェイクニュースをつくっていく。
つまりは新聞社やテレビ局が倒れれば、毒をもった奴らはまさに蜘蛛の子を散らすように全国に散っていくだけだ。
朝日新聞社という猛毒蜘蛛の袋が破れれば、人の姿に似た小さな毒蜘蛛たちは全国に散っていき、行った先でまた毒をまいていく。
今の毒マスコミを掃除するには、新聞とテレビの正体を社会にさらし、その悪事を暴きながら、そのでたらめさを社会に知らせ、ゆっくりと倒していくのが最良の手段だ。
ヤツラに好きにさせながら、その悪質で卑劣な売国マスコミの正体を日本のみか世界にさらし、今も一部に残る毒マスコミ信者の目を覚まさせ、正常で公正で誇りを持ったマスコミが台頭してくるのを待つしかない。
第一回の東京オリンピックのときは新聞もテレビもやりたい放題だった。
パソコンもスマホもネットもSNSも無く、国民は新聞・テレビの記事をそのまま受け取るしかなかった。
今思い出せば、血が凍るような時代だった。
日本という国に貢献できるのは五輪の選手たちだけではない。
普通の国民である我々も、それができる時代になった。
この幸運に沈黙していては、あまりにもったいない。